親の老後について1


自分の親や夫や妻の親の介護/世話という課題は、いつかやって来る課題だ。まだまだ働き盛りで元気なうちは、自身も若いしあまり考えないが、ある程度の年齢になってくると急に現実味を帯びてくる。同世代の人間の親が亡くなったり、病気になったりすることで、ふと考える。このことをさらに複雑にするケースは、やはり筆者のように海外に移住した人たちのケースだ。

日本で親が入院したとか倒れてしまったとか、わかっていることだが自分の人生設計に組み込まれていないことが多い。どんなタイミングで来るかも予想出来ない。
日本の場合は、例えば急に亡くなった場合、通夜から葬儀までの段取りが非常に早い。急に休みを取れるはずもなく、飛行機のチケットも翌日なんてほとんど取れない。
1週間くらい余裕があれば、なんとか葬儀に間に合う感じだろうか。もちろん子供が海外から到着するまで葬儀を遅らせてもらうケースも聞くが、スイスではそんなにすぐに葬儀などしないので驚かれる。下手をすると、教会の牧師が休暇中で待たされたりする。
亡くなる場合は、それはそれで大変だが、やはり期間のわからない、高齢の親の面倒を見なくてはいけなくなった時は大変だろうと思う。頼れる人間が自分だけなのに、海外に移住してしまったばかりにどうにもできなく悩むケースがある。専業主婦なら、しばらく日本とスイスを行き来する生活も可能かもしれないが、実際には生活基盤がこちらにある場合、そう簡単にはいかない。

海外移住者の場合は、日本帰国の際に一度家族と話し合っておくことが大事かもしれない。兄弟がいれば、そうなった時の対応を考えておいて、誰がどのように面倒を見るのか、親にも承諾を得ておく方が、多少心の余裕が持てるかもしれない。兄弟や親戚との連携は大切になるだろうとおもう。しかし予定通りに行かないのが世の常。最初はやはり慌てるのも普通だ。

筆者の義理のスイスの両親のことを少し書きたいと思う。義理の両親はここ何年かの間に、二人とも亡くなっているのだが、当時は初めて経験する「親」の死にやはり精神的にも大変だった。先に亡くなったのは義父で、外出中の転倒事故が原因で入院し、約1ヶ月後、自宅近くの病院に転院した数日後に息を引き取った。
義母も最初は落ち着いていて、葬儀が終わるまでは気丈に振る舞っていた。娘夫婦が近くにいることも少し安心したのだろう。しかし、ひと段落ついたと思った頃から、義母が少しずつ精神的に不安定になって行くのがわかり、毎晩のように電話をしてきた。確かに50年以上も連れ添った相手が急にいなくなった事で、義母にとっての生活環境は一変したわけで、徐々にその影響が出てきた。

病院の送り迎えから、買い物、家のことも頻繁に手伝うようになり、こちらとしても義母の様子を見ておいたほうがいいという事で、毎週通うような生活が続いた。
義父が亡くなった後も、義母の一人での生活が可能だったのは幸いした。高齢になってからの引越しは大変だと聞いていたので、ホッとしていたが、その分寂しさは日に日に増していったようだ。そして、数ヶ月後に体調を崩して入院してしまう。やはり伴侶を失った影響は大きいのだと実感した。
その後は少し調子を取り戻し、病院通いは多かったものの、普通に暮らしていたが、義父が亡くなってから3年半、外出先で突然倒れ大学病院に運ばれたが、我々が駆けつける前に亡くなってしまった。

亡くなる前日も電話をし、会う約束をし、普段と変わらない義母だったが、不思議なことに、その亡くなる前の日に親戚や友人など多くの人に電話をかけていた。通話記録から最後に電話をかけたのがうちだった。人の死はまさに突然やって来る。そして、この日から残された我々の大変な時期が始まる。

次回は、義理の両親が他界してから、しなければいけなかった数々の事について書きたいと思う。