押し寄せる難民

アフリカや中東の紛争が続く中、欧州に難民が押し寄せている。小さなゴムボート満員になって海を渡ろうとし、転覆して亡くなった難民もかなりの数だ。イタリアに流れ着くケースが多く、イタリア警察が懸命の救助活動をしている。
陸地では、国境の有刺鉄線をくぐり、ドイツを目指す中東のパレスチナ、シリア難民。シリアのアレッポで爆撃されていつ死ぬかも分からない状態で故郷を去る。
平時の生活を送っている我々には想像もつかないくらいの恐怖と不安だろう。

そんな中、オーストリアで71人の移民が、放置されたトラックの中から遺体で発見された。別の日にもドイツ国境に近いオーストリアの町で移民を乗せたトラックが発見され、いずれも運転手が逮捕されている。子どもも含まれており、海からも陸からも、命がけの亡命を試みる人が後を立たない。背後には人身売買の組織も絡んでいる可能性もある。
平穏な西側諸国にこうして移民が流れ込み、戦地と言う別世界からやってきた人たちが、新たな生活のスタートを求めてやってくる。
もっといえば、新たなスタートなどというのはずっと先の話で、とにかくいつ爆撃で死んでしまうかも分からない戦地から逃れるので精一杯といった印象だ。

ここスイスでも、シリアからの難民はもちろんいて、身近なところでは、子どもの学校にも難民の子どもが一時的に加わったことがあり、その両親とも言葉を交わす機会があった。スイス政府から難民へ毎月一定の金額が支給され、住む場所も難民用のアパート。市内のトラムなどもパスが発給されて、無料で乗れるが就労は禁止。他国はもちろん、スイス国内の遠方への移動も制限されている。そして、母国で戦争が終われば、また還されるわけだが、親も子どももスイスに馴染んできたころに母国に帰るという選択は、いつも問題になる。

スイスにしてもドイツにしても、爆発的に難民が増加すれば、不安を抱えるのは当然で、既に難民施設がドイツでは襲撃されている。こうしたことを守るには、やはり国と国同士、国際機関との連携も必要だが、戦争が長引けば長引くほどハードルは高い。

戦争はとにかく多くの命が無残に意味もなく奪われ、彼らの生活だけでなく、周辺諸国の人々の生活をも一変させる。
日本はこうした陸続きの環境になく、難民が押し寄せるといってもあまりピンと来ないのかもしれないが、中東の戦地の映像や写真を政治家にはぜひ見てもらいたい。
日本では日本人が被害にあわないと、遠い国のことはあまり報道されないが、東アジアのリーダーとして、唯一の被爆国として、目を背けずに見るべきだと感じる。
戦争の悲惨さは、日本人が痛いほど分かっているはずだが、戦後70年、忘れている人も多いし、知らない人も多い。
そして、戦争を体験した人がどんどんいなくなる。
日本がこうした過去を忘れて戦争に加担しようとしているなら残念でならないが、日本流「本音と建前」は世界には通用しない。